盲目の車椅子


開け放った窓から暖かな風が吹き込んでくる。
注ぐ太陽の光はすべてを暖かく照らしている。
このような平和なところにいる僕は幸せだ!
「あ、あの」
「ん?」
誰かの声で自分の世界から脱する。
「何かな?」
声の主は少女。
15、6だろうか?
なにやら困ってるようだが…。
「あの、お願いがあるんですけど、聞いてもらえますか?」
「いいとも、言ってごらん?」
「その、病室まで私を運んでくれませんか?」
「・・・どうして?」
「私、目が見えないうえに足も動かないので」
「ではどうやってここまで?」
「看護婦さんに助けてもらったんですけど、途中で急な用事が入ったみたいで行かれてしまいました」
「そうか、では助けよう」
近くにあった車椅子を彼女の目の前まで持ってきてそこに座らせる。
「ちょっと持ち上げるよ」
「はわ!?」
彼女は抱きかかえられるとは思ってなかったのか、ちょっと驚く。
そして、ゆっくり下ろすと車椅子を押し、歩き始める。
「病室は何号室?」
「529号室です」
「すぐそこだね」
それにしてもここには余り人がいないのか、さっきから誰も見ない。
「平日だからかもしれないけどさ、人全然見ないね」
「この階はあまり使われていないんです」
「どうして?」
「私もわかりません」
話してるうちに病室に着いた。
殺風景ないかにも病室っぽい部屋だ。
「あまり使われて無いとしか聞いてないし、私もあまり気にしなかったので」
「そうか」
ぐるり、と部屋を見回す。
「しかし、不便ではないかね?」
「…どうしてですか?」
「目と足が不自由であまり人が居ないのでは出来る事もあまりないのでは?」
「ナースコールですぐ来てくれるし、友達も毎日来てくれるので特に不自由なんてないです」
「…そうか」
自分が思っていたほど不自由ではないらしい。
「…いつからなのかな?」
「なにがですか?」
「病院生活が」
「…もう、ずっとです」
もう、ずっと。
それは辛いはず。
ずっと屋内に居て、仲のいい友達と遊び回る事も出来ず、それがなんともない奴なんていないと思う。
それともこの子はここの生活に慣れているのか。
「まだ、名前聞いてなかったね」
「…高野悠里(たかの ゆうり)です」
「ぼくは紗奈儀聡(さなぎ さとる)、ぼくはもう行かなくちゃならない」
「そうですか」
「だから、明日もまた来てもいいかな?」
「あの…いいですけど、いいんですか?」
「何が?」
「また、来てもらっても」
「ぼくがそうしたいから来るのさ」
自由人だから、と付け足しておく。
「それじゃ」
「あ、はい…さようなら」
部屋を出てエレベーターへ向かうと、ちょうどエレベーターがやってきた。
「こんにちは」
「…こんにちは……?」
出てきた女の子に挨拶をして降りてゆく。
女の子は悠里の部屋へと向かう。
「また来たよ、悠里」
「あ、沙織」
「ねえ、さっき男の人とすれ違ったんだけど」
「沙奈儀聡さんっていうの」
「へぇ〜」
沙織、と呼ばれた女の子は少し驚いたように声を出す。
「珍しいじゃない。悠里が私以外と、しかも男としゃべってたなんて」
「とても、優しい人だったから」
「まあ、すれ違いで挨拶してくるくらいだからなぁ」
きっと育ちもいいのかもな。


「悠里さん、居ますか?」
「あ、はい、居ます。どうぞ」
「いや、すまんな昨日はいきなり帰ったりして」
「いえ」
「まだあって少しなのになれなれしくてすまんな」
「いえ、嬉しいです」
悠里は優しく微笑む。
「…もったいないな」
「え、何が…」
「いや、素敵な笑顔なのに、と思ってな」
「そっ、そんなぁ。素敵だなんて…」
少し顔を紅潮させる。
「いや、君は魅力的な女の子だ。こんな所にばかりいては惜しい」
そう、彼女は素敵だ。
流れるようなしっとりした髪。
聞いていて心地良い声。
淑やかな動作。
バランスの良い体。
きっと学校なんかに居たらモテモテだろう。
「ところで、今は何の治療をしているのかな?」
「足は生まれたときからなので、もう駄目ですが、目は光が見えるのです」
ゆっくり目蓋を上げる。
「良い天気の日は、光が強く感じられていい気持ちです」
「そうか、目は治る見込みがあるのか」
「はい」
「見えるようになると良いな」
「そうですね」
ゆっくり、目蓋を閉じる。
「そういえば、昨日来たのは友達かな?」
「はい」
「あの子が毎日見舞いに来てる友達か」
何だか一瞬だったのにはっきり覚えてる。
というか、凄いボンバーヘッドだった。
「あの…」
「…ん?」
「沙奈儀さんはお仕事何してるんですか?」
「一応社長って事になってる」
「えっ!?しゃ、社長さんなんですか!?昨日自由人といってませんでしたか!?」
「いや、名前だけだよ。ほとんどは部下がやって、ぼくは顔役だけ」
仕事場に居てもつまらん。
「沙奈儀さんは、なぜ来てくれるんですか?」
「ここへかい?」
「はい」
「んー、なんでだろうね」
理由か……。
「特に理由がないんですか?」
「そうだなぁ……君に会いに来た、かな?」
「そんな……私に会いにだなんて」
また赤くなる。
こういうことに免疫がないのか、それとも恥らう乙女なのか。
どちらもだと思うが、それがまた可愛い。
「…すみませ〜ん」
『…?』
「あの……私お邪魔?」
ボンバーヘッドが覘く。
「そっ、そんなことないよ、入って」
「じゃあお邪魔します」
入ってきたのは女の子。
「あ、君は昨日の」
「式眞沙織(しきま さおり)といいます」
「私の親友です」
「なら、君がいつも来てるという子か。沙織ちゃんって言うんだ」
「……ちゃんづけ」
「あ、嫌だった?」
「あ、や、嬉しいです」
「それはよかった」
いやぁ、それにしても凄い頭だ。
「その頭は癖っ毛?」
「いや、天然でこれは有り得ないでしょう」
「…だよねぇ」
やっぱりセットしてるのか。
「っと、ぼくはここで退散するかな?」
「もう、帰るんですか?」
「親友との時間も大切だろう?」
「そんな、私は構いませんよ。なんてったって、悠里のはじめての男友達だもん」
「んー。いや、今日は帰るよ」
「さいですか」
「それじゃ」
「………」
「いっちゃったね」
「うん」
はぁ、とため息
「…悠里はあの人好きなの?」
「え!?ななな、何で!?」
「いや、居なくなったとたん元気なくなって、ため息までついちゃって」
「………まだ会ったばかりだし、今までそういうことなかったから、わかんない」
「そっか」
「…もし、好きだとしてもあの人はかわいそうな女の子としか思ってないのかも知れないし」
「…怖がるなよ、悠里」
「沙織……」
「あんたほどの子に好きだといわれれば誰だって少しは考えるさ。あの人もなかなかハンサムだし」
「………」
「相談だったら聞くよ」
「……」


「………はじめての男友達、か」
馴れ馴れしくないだろうか。
「…どうしてなんだろうな」
誰にでもでもなく言う。
「こういうのなんていうのかな」
不思議と、あの子に会いたくなる。
あの子と居るだけで楽しい。
あの子が笑ってくれると嬉しい。
「…………」


その後も毎日のように見舞いに行った。
不器用ながら林檎とか剥いて一緒に食べた。
自分の気に入っている本とかも読んであげた。
「子供じゃないんですから」って言ってたけど、読み始めると真剣に聞いてた。
「…今日はここまでだな」
栞を挟んで本を閉じる。
「悠里は、外出できるの?」
「一応出来る事にはなってますけど、出る機会はありませんね」
「なら、今度一緒にどこか行こう」
「…え、あの、どこへ…?」
「どこへでも、気の向くままに」
腰掛けていたベッドから立ち上がる。
咳払いを一つ。
そして演技っぽく喋る。
「君はそう、鳥だ。でも、枷があるためにずっと飛ぼうとしない。」
「………」
「狭いかごの中にずっと篭ってるよりも、枷をはずして、少しでも羽ばたいて外を見たほうが良い」
「………」
「目が見えない?歩けない?そんなの関係ない。肌が感じる四季、暖かな光、皮膚を撫ぜる風、鼻をくすぐる香り、そして」
「ぁ………」
悠里の手を握る。
「この人と人との感じるぬくもり」
「………」
「音楽だって聞ける、本だってぼくが読んであげる、話だって出来る」
見る事は出来ずとも、感じる事は出来る。
「ずっと外に行ってないんだろ?」
「うん」
「なら、いろいろ行ってみようよ」
「……うん」
悠里はうっすら頬を染める。
「貴方みたいな人はじめて」
「そうかい?」
「…聡さんの手、暖かい」
まだ手を握っていた事を思い出す。
「おっと、ごめんよ」
「ううん……」
ふわり、と笑う。
「こんな気持ちになったの…初めて…」
「…それは良かった」
「……………」
入り口に影。
ボンバーヘッドは小さく呟く。
「やれやれ、ラブラブだねぇ」


病院の入り口。
「むうぅ…ああは言ったものの、どこへ連れて行けば」
「はいっ!」
「なんだね沙織ちゃん?」
「海とか良いと思う」
「ほう、海か」
たしかに、良いかも知れんな。
「聡さんはプライベートビーチとかあるの?」
「ここからだと遠いが、有る」
「なら、そこに連れて行ってあげてよ」
「だが、何で海なんだ?」
「あの子は泳げないからって、プールとかも行ったことないのよ」
「なるほど…」
「そしたら、私も行きたい」
「…なぜ、沙織ちゃんまで来るのかな?」
「監視役で」
「…まさか、このぼくが何かすると?」
「無いと思うけどもしかしたらって事もあるから」
「…まだ面識浅いのに、そんな事言われるとショック!」
「……で?海いくの?」
「行くさ」
「………」
期待のこもった沙織の視線が聡に注がれる。
「…来る?」
「行きたいです!」
「しょうがないなぁ、悠里もその方が良いだろうし」
早速準備だな。


部下に無理を言い、秘書に無理を言い、仲間に手伝ってもらい、やっとまる三日間休みができた。
天気予報でもその三日間は晴れるといっている。
ビーチの掃除もさせておいた(あまり使ってなかった)。
あとは、悠里と沙織ちゃんを迎えに行くだけ。
待ち合わせているのは病院。
「迎えに来たよ、ぼくの天使達!」
「……天使?」
「浮かれておかしくなってんだよ」
「失礼な、ほんの冗談じゃないか……あ?」
「…どした?」
「いや、声は沙織ちゃんだ。しかし、別人が居る…?」
「失敬な、髪を下ろしただけじゃないか」
「ボンバーヘッドでなければ沙織ちゃんではないぞ」
「髪下ろしたって私は私だよ、それからボンバーヘッド言うな」
「しかし、今までのイメージがあってだな…」
「いつも心の中ではボンバーヘッドって言ってたのか」
「そういうことではなくて、元気な女の子のイメージなのにいきなり淑やかな感じになって違和感が」
「………あの」
「あ、ごめん」
「沙織ちゃんが突っかかってきて」
「私のせいにするな」
クスクス、と悠里が笑う。
「ほら、笑われたぞ」
「だから!聡さんのせいだろ!?」
「二人とも、仲いいですね」
「…そうか?」
「ただ言い争いをしていただけだが」
「遠慮なく相手に言えるの、何かうらやましい」
「……」
沙織は突然黙ってしまう。
「…(なぜ黙る?)」
「(だって、何か……なんとなく)」
二人が黙ってしまったので悠里はあわててしゃべる。
「あ、の…その、変な事言ってごめんなさい」
「悠里はうらやましいのか?」
「あ、いえ…そんな事は…」
「ぼくは構わない。だから悠里も遠慮なく言ってくれ」
「あ、の……」
「その方がこっちとしては嬉しい」
「………」
「………」
悠里は口を閉じてしまう。
「……ねぇ、もう行かない?」
「そうだな、せっかく作った休みだ、早く楽しみに行こうじゃないか」
「そ。悠里も、聡さんも遠慮しなくていいって言ってるんだから、バンバン言ってやればいいのよ」
「でも…」
「そうだ、バンバン言ってくれ。そうすればもっと悠里の事を知る事が出来るし」
「…なら…なるべく遠慮しない」
「そうそう、じゃあ行こう」
「玄関の近くに車を止めてあるから駐車場まで行かなくていい」
そして、にっこり笑う。
「運転はぼくだ」
「…大丈夫なの?」
「心配無い。三人でドライブを楽しみたいからドライバーを呼ばないように練習した」
「練習したなら、大丈夫か?」
「大丈夫さ。乗って乗って」
沙織を後部座席に乗せる。
「悠里は助手席ね」
車椅子から持ち上げて乗せる。
「重く、ないですか?」
「軽い軽い、心配しなくていいよ」
車椅子は畳んで後ろに乗せる。
「よし、出発」
エンジンがかかり、車が前進する。


別荘まで普通に走って一時間半くらいかかる。
つまりは、道中結構暇。
「つ…つ…、翼」
「さ、さ…刺身」
「み…み……三日月」
「き?…き…キリンじゃなくて……」
「それずるい」
「気にするな……喫茶」
「また、さ?……酒」
「警察」
「おお、早い、……つ?」
オーソドックスにシリトリなんぞをしている。
「つまんない」
「しょうがないだろ、遠いんだから」
「よく悠里は平気だね」
「車って久しぶりだし、二人の会話聞いてるの楽しい」
「私は楽しくない、暇」
「なら、着いたら何するかとか考えてればいいんじゃないか?」
「それもなぁ…」
話題がなんとなく決まらず、話が続かない。
「じゃあさ、五文字以上でシリトリしない?」
「五文字以上?」
「そ、短いのは駄目」
「いいぞ?」
「じゃあ、悠里から」
「え?…あ…殺虫剤」
「ん〜…、石畳」
「み……、民主主義」
「微妙な……」
「いいでしょ別にっ」
「あ、え、ん〜、偽装工作」
「あ、く?……熊牧場」
「ウコッケイ」
「イチョウの葉」
「二人とも早いよ………は、は、ハイブリット」
「と…と……採れたて野菜」
「残念ながらぼくは野菜を栽培してません」
「だーれが食べたいって言ったっ!?」
何かと二人の口論が始まり、なかなか一つの事が出来ないうちに到着。
「ついたぞ」
二階建ての丸太小屋。
「へぇ、なかなか良いじゃん」
「だろ?」
目の前には広い砂浜。
家の周りは緑の林。
骨休めにはとても居場所だ。
後ろから車椅子を取り出す。
「車椅子に乗せるよ?」
「はい、ありがとうございます」
「…落とすなよ」
「落とす訳無いだろ……」
悠里と沙織を先に中に入れて、自分は荷物を運ぶ。
三回ほど往復。
「…ふぃ」
「大丈夫ですか?」
「うん、平気平気」
悠里と聡が話している間、沙織は家の探索。
「…結構綺麗、て言うか」
あんまり使われてない?
一通り探検しおえてリビングへ戻る。
「ねぇ、聡さん」
「なんだい?」
「ここって建ててからどのくらい経ってるの?」
「え〜、5年位かな」
「…そんなに経ってるようには見えないんだけど」
「使ってないからなぁ」
「こんな良いのに何で使わないのさ」
「一人で来てもつまんないし」
「友達とかさ、恋人とかさ、家族とかさぁ」
「恋人は今まで居なかったし、友達はそんなに仲良いとはいえなかったし、家族は忙しいみたいだし。第一、こんな遠い場所に来るなら自宅に居たほうがよっぽど色々出来る」
「なら、何でこんな所に建てたの?」
「……なんとなく?」
「えー、何となくぅ?」
「別荘とか憧れるじゃない。父親にいらないって言われても建てたの」
「でも、まあ、今役に立ってるわけだし、良いじゃない?」
「まぁね」
悠里と一緒に来れたわけだし。
「お昼にしようよ」
「そういえば、もう昼か」
壁にかけてある時計は十二時を少し過ぎたところを指している。
「じゃ、ぼくが…」
「ちょい待ち!」
「…なんだよ」
「私が作ろうじゃないか」
「…沙織が作るの?」
「うん。聡さんは当たり前として、悠里は食べたこと無いでしょ?」
「うん、ない」
「結構自信あるんだから」
言いながら、さっき持ってきた荷物の中から食材を取り出す。
「キッチン借りるよ」
「どうぞ、お好きに」


「出来上がり!」
なるほど、あなどっていた。
「ん〜、良い匂い」
「これはなかなか、美味そうじゃないか」
「へへーん、予想以上だったでしょ」
「予想以上だった。何か習ったりしてるのか?」
「私のお父さんはね、ホテルでコック長やってるの」
「なるほど、それでか」
「さあさあ、たべよたべよ」
テーブルに着き、沙織が皿に取り分ける。
『いただきます』
「ね、ね、どお?」
「ん、ん!美味しい!」
「……」
「じゃあ、じゃあ、こっちは?」
「む、ん、ん!すごいな!」
「……あの…」
「ん?」
悠里が細々と声を出す。
「…あの、私……」
「…あっ、そうか。ごめんね」
カタリ、と聡が席を立つ。
そして、椅子を悠里の隣まで移動させる。
「はい、あーんして」
「えぇ!?あのでも、そ、そう、沙織にやってもらうから聡さんは食べててよ」
「あーん」
「あの、その、だから…」
「あーん」
「……あーん」
顔を真っ赤にして口を開ける。
「どお?美味しいだろ?」
「うん、おいしい!沙織の意外な特技だね!」
「……い、意外な…………」
親友に言われたとあってはショックだろう。
「はい、あーん」
「…あー、ん」
聡は、ニコニコしながら食べさせている。
「…すっごいうれしそーだね」
小さく呟く。
「何か言ったかい?」
「いいやー。なにも」
こういう感じで昼が終わる。
「ねえねえ、もう行って良い!?」
「そうだなぁ」
水着に着替えてしまってるので聞く意味が無いのだが…。
「あまり深いところとかまでは行かないでくれよ?」
「了解!とああ!!」
ざばざばざばずぼーん!
「うひゃー!気持ち良いー!!」
沙織は海へ突撃して行った。
「まったく、沙織ちゃんは」
「聡さんは泳がないんですか?」
「ん?君から離れれないだろ?」
「私は別に良いですよ」
「僕こそいいよ、悠里の隣にいたほうが僕としては嬉しい」
「…そう、ですか」
少し、嬉しそうに微笑む。
「それに、話し相手がいたほうがいいだろ?」
「…実は、そうです」
「僕も、悠里とゆっくり話せるのは嬉しいよ」
ざばざばざば。
沙織が戻ってきた。
「この鯨の浮き輪借りるよ?」
「どうぞ」
上がって来て浮き輪を持って、また海へ戻る。
「……今、沙織ちゃんは泳ぐ事に夢中です」
「…?」
「それに、たぶんすぐには戻って来ません」
「……?」
突然、沙織の事を話す。
「場所はすごく良い、タイミングも良い」
「………………?」
「………つまりだな、僕は」
「…はい…」
「…………僕は………」
すー、はー、すー、はー。
深呼吸。
噛んじゃ駄目だ、頑張るんだ僕。
「僕は………高野悠里、君が………」
「…………」
心なしか、悠里は僕の言葉を期待しているような、ちょっと困ったような感じに待っている。
「…君が………好きだ」
………言った、言ったぞ!?
「………」
あまり驚いたふうもなく、真剣な顔をしている。
「君の、気持ちを……聞かせて欲しい」
あまり不安な気持ちは声に出さないようにしたが、それでも声が小さくなってしまったかもしれない。
そ、っと悠里が手を握ってきた。
「っ………」
ドキリ、と心臓が跳ねる。
これまで何回も話したし、車椅子の乗り降りを手伝った。
しかし、直接肌が触れるのは、手と手だとなおさら緊張する。
そっと微笑み、こちらを向く。
「私で……良いの?」
「…もちろんさ、君でなくてはいけない」
頬が朱色に染まる。
「…良いなら……喜んで」
ここで抱きしめるなりキスの一つでもすればすごく良いんだろうけど、それは海からの邪魔者で叶わぬ夢となった…。
「助けて〜〜!」
「…………」
「クラゲに刺されたー!」


「いててて……」
「まったく、一人で何をしてるんだ」
「刺されたものはしょうがないじゃん」
とりあえず、家に帰り休む。
「クラゲに刺されるなんてはじめてだよ」
「僕も刺された人を見るのはじめてだよ」
「…何怒ってんのさ」
「別に、怒ってないよ」
「………そういえば、二人きりで何かしてたよね」
「………」
「何してたの?」
「……別に、話してただけだよ」
「ふ〜ん……あ、もしかしてあの時良いムードで、私が邪魔したから怒ってるんでしょ?」
「だから、怒ってないってばっ!」
「なになに、何やってたの!?」
「なんでもないってば!」
二人して言い争っていたときに、ぽつりと悠里が一言言う。
「聡さんに、告白…されちゃった」
「…え、えー!?」
驚いたような、面白い事を聞いたような顔をする。
「まったく、聡さんも隅に置けないなぁ」
だんだん恥ずかしさでここに居るのが辛くなる。
「……もう寝る!」
まだ6時だ。
「もう?」
「もうっ、お休み!」
恥ずかしさで顔が真っ赤になるのを隠し、寝室に行く。


コンコン。
「ん、誰だ?」
「私だよ〜」
「あのな、あまりからかうと…」
「悠里が用あるんだって」
「……入れ」
「失礼しやーす」
からからと車椅子を押してくる。
「じゃ、私はお邪魔なようなので失礼しまーす」
去り際にガッツポーズをして去っていく。
「……さっきはすまなかった」
「いえ」
…………。
「何か、用事か?」
「大した事、無いんだけどね」
ゆっくりと話す。
「沙織の事、あまり悪く思わないでね」
「からかわれて少し怒っただけさ、悪い子だなんて思ってない」
「ありがとう…沙織は喜んでるの」
「喜んでる?」
「私、内気でずっと病院にいたから友達、少なかったの」
薄く微笑み、思い出すようにしゃべる。
「お見舞いに来てくれるの、沙織しか居なかったの」
(…そうだったのか)
「小さい頃からこんな私とずっと遊んだりしてくれて、ずっと昔から仲良かったの」
「それで、何で沙織ちゃんが嬉しいんだ?」
「塞ぎがちだったのをなおしてくれたから、かな?」
手がゆっくり差し出されてきた。
空中さまよう手を、やさしく握る。
「それと、今日はすごく嬉しかった」
すこしだけ、握る手に力が込もった。
「今までで、色々な意味を含めて、好きって言われたの、はじめて」
「……悠里」
「あの、それで…お願い」
恥ずかしそうに、けれどはっきりと言う。
「もう一度、好きって…言って」
「ああ、何度でも言うさ」
「あ……」
ギュ、と悠里を抱きしめる。
「好きだ…好きだ、好きだ。大好きだ」
「………うん」
悠里からもギュ、と抱き返す。
「………ふぅ」
ドアの向こうに居た沙織は、薄く笑みをこぼし、自分の寝室へと向かう。


次の日からはまた、いつも通りに楽しく過ぎていく。
また沙織が料理を作り、それを二人して褒めちぎってからからかう。
海に入る沙織とは別に砂浜で二人の時間を楽しむ。
「…今日もいい天気だなぁ」
「そうですね」
今日は沙織は刺されぬように寝転がれる浮きを持って行ったので、変なふうにはかえって来ないだろう。
「………聡さん」
「なに?」
「私達……恋人に、なったんですよね」
「そう、だね…」
何だか、そう意識すると急に恥ずかしくなる。
「……言葉にすると、恥ずかしいですね」
「恥ずかしいけど、僕は嬉しい」
空を仰ぎ、青空を眺めて言う。
「ゆっくりした時間の中で、好きな人と一緒にすごせるんだ。恥ずかしがってたら時間がもったいない」
「………私は」
目を閉じたまま、真直ぐ海のほうを向いて悠里は話す。
「…私は、こんな恥ずかしさも、いいと思う。好きな人と居て恥ずかしい。それは好きな人が近くに居るから、なんとなくむず痒い恋の証」
珍しく、悠里が語る。
「……す、すみません、聡さんのほうが年上なのに」
「気にしない。…それより、いつも聡さんって言ってるよね」
「はい」
「さん付けじゃなくて、聡って、呼ばない?」
「いえ、でもそんな…」
「いや、そう呼んでくれ。その方が良い」
「………」
「…いや、呼びづらいなら良いんだけど……」
「…聡、で良いんですか?」
「うん」
「今度から、そう呼びます」
「ん、ありがとう」
……と、こんな調子で時間が過ぎてゆく。


「全部積んだかー?」
「積んだよ」
「ようし、じゃあ乗っててくれ」
「りょーかい」
乗ったのを確認し、悠里も車椅子から移す。
車椅子を畳み、後ろに乗せ、発進する。
少しの砂利道の後、公道にでる。
低いエンジン音が車内に響き、静寂を引き立てる。
「なぁ、何かしゃべろうよ」
「なんかって言っても……またシリトリやるか?」
「えー…あれはちょっとなぁ」
乗り出していた体を引っ込める。
「………」
何だか虚しいので音楽をかける。
♪〜〜〜♪―――♪〜〜〜
「聡さんってこんなの聞くんだ」
「意外か?」
「んー、なんかね」
「♪〜〜♪〜〜♪〜〜」
鼻歌を口ずさみながら軽快に走る。
暖かい、良い天気の午後。
軽快な音楽、流れる景色。
隣には、愛する人。
悠里は、暖かさで胸がいっぱいになる。


「じゃあ、僕はこれで」
「うん、ありがと」
ニカッ、と笑いお礼を言う。
「ほら、悠里は?」
「…また、明日来てね?」
「来るとも、喜んで!」
ぽふぽふと頭を撫でる。
「また来るから」
「…うん」
じゃ、といい、行ってしまう。
「ずいぶんと良い感じじゃない?」
「えへへ…」
「見てるこっちが恥ずかしいよ」
「何で沙織が恥ずかしいのさ」
「えー?だって見るに耐えないんだもん」
「からかわないでよ」
「あはは…しかし、悠里も変わったね」
「…そう?」
「そうだよ、昔なんてほかの人なんてまともに話なんてした事なかったじゃん」
「…そういえば、そうだったね」
「ホント、良い人に遇えたね」
車椅子の悠里を見やる。
ヒョゥゥ。
「ん!こんなとこにいたら風邪引くよ、さ、中入ろう」
半ば、強引に車椅子を押して中に入る。
少し遅くなってしまったため、あまり話をせずに病室から出る。
「………はぁ」
エレベーターに乗るとため息をつく。
そして、ポロリと一言。
「……………いいなぁ」


「………あれ、悠里は?」
「検査。だから今ちょっといない」
「ふーん……」
ベッドの脇にあるパイプ椅子に座る。
「定期検査か何かか?」
「もうすぐ手術でしょ?」
「そうだな」
「その検査よ」
「なるほど」
検査だとはいえ、こんな朝から大変だな。
話をしていると検査の終わった悠里が戻ってくる。
「お帰り、悠里」
「うん」
「おはよう悠里」
「おは…はぇ!?さ、聡さん!?」
挨拶をすると驚かれた。
「ど、どうしたんですか、こんなに早く来るなんて…」
「だめだった?」
「い、いえ、良いんですけど…寝癖とか、まだ直してないし…」
「別に構わないよ、寝癖も可愛いし」
「そ、そんな、あまり見ないでください…」
ぺたぺたと頭を押さえるが、あまり意味は無い。
「今、検査だったんだよね」
「は、はい」
「どうだったの?」
「状態は良いそうですけど、手術の成功率は半々といったところだそうです」
「二分の一か…」
手術では高いほうなのか低いほうなのか自分にはわからない。
「悠里は、見えるようになりたい…よね」
「はい」
「当たり前でしょうが、目が見えるだけで今まで出来なかった事がどれだけ出来るようになると思ってるのよ」
「そうだけど、治ったら本を読んであげなくてもよくなるのか…」
少し、残念そうに言う。
「別に自分で読めるようになっても、読んであげれば良いじゃない」
別に聡さんの言葉を聞かなくなるわけじゃないんだから、と言う。
「悠里も、読んでもらうと嬉しいよね?」
「うん。何だか子ども扱いされてるみたいだけど、嫌じゃないよ」
「…そう?」
「そうだよ、それに、悠里は聡さんの顔、見たいでしょ?」
「うん」
「絶対、見えたほうが良い事たくさんあるよ。だから、手術頑張ってね」
「うん。ありがとう、沙織」
ふと思い、沙織にたずねる。
「…そういえば、沙織ちゃん、学校大丈夫なの?」
「え、今何時…?」
8時17分。
「うわ、やば!?もう行かなきゃ、じゃあね悠里」
「うん」
「聡さんも」
「ああ」
ダッシュで部屋を出て行く。
「…忙しないなぁ」
「元気な証拠です」
クスクス、と笑う。
「聡さんは、お仕事どうしたんですか?」
「任せてきたから大丈夫」
「はぁ…」
大丈夫じゃないと思うなぁ…。
「優秀な奴が多いから、俺なんか居なくても大丈夫さ」
「そうなんですか」
「そう。あんな所に居るより、悠里と居たほうがよっぽどマシさ」
椅子を悠里の隣まで持って行き、隣り合うように座る。
「悠里は、心配なこととか無いの?」
「……無いわけじゃ、無いです」
わずかに俯く。
「今回の手術が失敗すれば、光さえ見えなくなってしまうそうです」
うっすらと目を開け、窓のほうを見る。
「この光さえ見えなくなってしまうんです。だから…少し、怖いです」
「…大丈夫!」
ガタッ、と立ち上がり、胸に手を当て力強く言う。
「たとえ失敗しても、僕が悠里の光になるよ」
はっしと悠里の手を握る。
「そして、いつまでも一緒だ」
「……うん」
じっと、悠里を見つめる。
「ねぇ」
「はい…?」
「…ぎゅー、ってして良い?」
「ぎゅー?」
「…こう、ぎゅーっと」
ぎゅー。
悠里の背中に腕を回し、自分のほうに抱き寄せる。
「あ…の、その……」
恥ずかしそうにしながら、どうして良いかわからずあたふたする。
「誰も見て無いよ」
今は自分達しか居ない、と伝える。
「……………ぎゅー」
悠里も優しく抱き返す。
「いやぁ、この前やったとき妙に癒されてね。またやりたいなぁ、と思ってたんだよ」
「この前って…海に行った時、ですか?」
「うん」
「あれは…思い出すと、恥ずかしいですね」
今の状況もあって、顔を赤らめる。
「……悠里」
「はい?」
「今日、このまま居ても良いかな」
「良いですけど、どうしたんですか?いつもならなんだかんだって、すぐ帰っちゃうのに」
「いや、うん。嫌かい?」
「いいえ、むしろ嬉しいですけど、何かあったのかと思って…」
ほんとに心配そうに言ってくる。
「何かあったんですか?私でも、聞く事は出来ますよ」
「いや、なんでも無いんだ。悠里は優しいね」
「いえ、そんな事無いですよ」
両手を軽く降りながら照れる。
「そうだ、ベッドへ移るかい?」
「いえ、このまま座ったままでも良いですよ」
「いやいや、移ろうよ」
「このままでも…………じゃあ、お願いします」
「うむ、任せろ」
お姫様抱っこで持ち上げ、ゆっくりベッドの上に下ろす。
「っしょっと」
下ろしたあとに、布団を胸の少し下まで掛ける。
自分もベッドの脇に腰掛ける。
「………」
なんとなく手が動き、悠里の頭を撫でる。
「……あの…」
「少し、このままで居させて?」
「………うん」
さわさわと、頭を撫でる。
開けていた窓から暖かな風が吹き込んでくる。
「………気持ち、良いです」
「え、悠里はこんなところに性感帯が…」
「ちっ、違います!そう言う意味ではなくて…」
「わかってるさ、ちょっとからかっただけだよ」
「…もうっ」
冗談を交えつつも手は止めていない。
「……気持ち良い、か…そうだな」
窓から暖かな風が吹き込み、悠里と聡の肌をくすぐる。
窓の外は雲ひとつ無い快晴。
湿度もそんなになく、心地よい暖かさ。
「…僕の場合は心地良い、かな…?」
悠里の場合は頭を撫でられて、僕の場合は暖かな風と悠里と二人っきりということ。
しばらくそうしていた。
「ねぇ、悠里」
「…………」
「………悠里?」
「…………」
「……寝ちゃったのか…」
呼びかけても反応せず、ただ規則的に呼吸を繰り返すのみ。
「寝顔も、可愛いなぁ…」


「ん……ふあぁ」
悠里が目を覚ます。
「…寝ちゃったのかぁ…」
聡さんは帰ってしまったのだろうか。
「聡さん?居ますか?」
…………。
返事が無い。
「寝ちゃったしね、帰っちゃったのか」
「むぐ、うぅ……帰ってない、よ」
寝ぼけたような声で答える。
「僕も寝ちゃったみたいだ…」
少しまごついた動作で時計を見る。
「あっれ、もう夕方か……」
「すみません、せっかく早くから来てもらってたのに…」
「いや、良いよ。可愛い寝顔も見れたし」
「もう…聡さん、私の恥ずかしい事ばっかりする」
「見てしまったものは仕方が無い」
口を尖らせていた悠里だが、クスリ、と柔らかく微笑む。
「眼が治ったら、私も聡さんの格好良いところとか見れますかね…?」
「きっと見れるさ、そのときは惚れ直すくらい格好良くするさ」
「期待してます」
前向きに、失敗したときの事はお互い口にしない。
きっと成功する。
二人ともそう信じている。
「さて、さすがにそろそろ帰らなくちゃな」
ベッドから立ち上がる。
「…そうだ、ちょっと恋人っぽい事しようか」
「恋人っぽい、事…?」
「ちょっと体起こしてくれるかな?」
悠里の体を起こし、聡と正対するようになる。
「少し、そのままでいて」
「はい」
……………………ちゅ。
「……!?」
キ…キス!?
しかも、口。
「さ、聡さんと…キ、キキ…キス、した」
「お別れのキス。それじゃ、また明日」
「あ、え…はい、また明日」
スタスタと部屋を出て行く。
「………キス」
唇に残る感触に、悠里はいつまでも惚ける。


「ふぅ…」
ドキン、ドキン、と心臓が高鳴っている。
「いきなりは、まずかったかなぁ…」
唇に指を触れる。
「……悠里の、やわらかかったなぁ…」
さっき、見えないのを良い事にキスした。
「何か、相当ビックリしてたな」
明日どんな顔して合えば良いだろう。


「やっほー、きたよー」
「………」
「いやぁ、委員会が長引いちゃって遅くなっちったよ」
パイプ椅子に腰掛ける。
「なんか委員長になっちゃってさ……悠里?」
「……え?」
「聞いてる?」
「あ、ごめん…何?」
「だから委員長になっちゃってさぁ、みんなして私が良いとか言うしさぁ」
「………」
「…どっか調子悪いの?」
「え、何で?」
「さっきからぼーっとしちゃってさ、それとも何かあったの?」
「ううん、何でもないの」
「ふーん…。でさあ、先生まで……」
「…………」
悠里はさっきの事を思い出し破顔する。
「…やっぱりどこか痛かったり、具合悪かったりするの?」
「大丈夫だってば」
「じゃああれだ、聡さんと何かああったんでしょ」
「それは秘密…」
「えー、なになに教えてよー」
「秘密だってば」
唇を指で触れる。
そして幸せそうに笑う。
私のファーストキスだったんだから…。